平原内科消化器科。太田からすこし遠くの近郊です。院長は遊んでいるばかりではありません。念のため。

群馬県太田市平原内科・消化器科 hirahara clinic

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太田市近郊その2・すこし遠めのご案内。
院長の愛すべき古宿紀行。

天気予報は雨のち曇り。こんな日ですが旅に出ることにしました。



オヤジ旅 車編
「街道を旅する。」
そんな本を購入した。本屋で見かけて購入。

日本国内の街道の紹介。
美しい風景の写真が旅に誘う。

オヤジも旅に誘われる。
時間がなくていけなくても夢が持てそう。

男の子はいくつになっても旅がすき。

新潟県魚沼から福島県檜枝岐に抜ける道。
国道325号 銀山街道と呼ばれる。

道が悪く酷道と言われる。

林道ではなく国道だから価値がある。
歴史を感じて昔の旅人の思いを感じてみたい。

越後山中にあった銀の鉱山。
銀山平。

銀が掘り尽くされたあと1962年、奥只見ダムが作られた。
道が余りに悪いのでダムを作るときに道路の改修をあきらめて
長いトンネルを作った。奥只見シルバーライン。

ほぼ道路がすべてトンネル。

こんな紹介が「街道を旅する」にありました。

すぐに行ってみたくなるのは私の性分。
行ってみました。

家族を誘うが断られて
また今回も一人旅。

高速道路に入ります。

混んでいるし単調なドライブ。
ひらすら流れに乗るように走る。

できれば一般道のほうがいいのですが。
時間がなく日帰りの一人旅。

願わくば古そうな旅館に泊まる。
女将から昔の話を聞ながら酒を飲む。

そんな旅がしてみたいが。
私も現代人の端くれ。急ぎ旅。

関越自動車道小出インターで降ります。


目的の国道325号線を走ります。
だんだん山深くなっていく。

道が狭くなっていく。
通行止めの予告看板がある。

え、通行止め。
ここまで走ってきて通行止めはないよな。
でも行ってみよう。

通れる事もありますのでギリギリまでは諦めない。


やはりダメでした。
目的の道路が通れなければ違う道を。

奥只見シルバーラインに向かいます。
昔は有料道路だったためこのようなゲートがあります。

1971年から観光道路として使われて77年に県道として
無料開放された。県道50号。




ダム建設をするために作られたトンネル道路。
ほとんどがトンネルのため景色はよくない。

全長22キロのうち18キロがトンネル。

暗いトンネルのなか走っていると
上っているのか下っているのか解らなくなる。

感覚が麻痺する。

ひたすら走り続ける。
異常に飛ばしている車にすれ違って怖い。
速度の感覚を失っているのかもしれない。

トンネル内は水が多く中の湿度が高く車のガラスが曇ってくる。
エアコンをいれると窓の外側に曇がついて運転しづらい。

いい加減走り飽きてくると銀山平への分岐がみえてきた。

銀山平への入口

雪がまだ残っていました。

後ろは奥只見ダム。

470キロでした。

家に帰ると猫だけがお迎えをしてくれました。

一人で遊ぶに行くと家族の反応はあまり。
猫はこんな時のお友達。

オヤジのプチ旅がこうして終わります。
また明日から仕事。
頑張りましょう。




東北大震災から一年

東北大震災から一年たち3月11日を迎えました。

地震直後、群馬に住んでいる我々も
テレビの画面に驚き、計画停電で困り、ガソリンの供給不足で困り
震災を体感した。

ガソリンスタンドの周りに列ができていた。
そんな事も一年がたって忘れ始めていた。

一年後のその日その時間に
私は宮城県の気仙沼にいました。

ツタヤ気大船渡店は慰霊のため休業。

実は一ヶ月前に一人で東北まで行ってみた。

今回、娘達にも現実をみてもらいたいと思い
連れていくことにしました。

観光はけしからんと言う人がいるかもしれない。
見てから考えていいのではないか。

考える材料を娘達に見てもらう。
来た事が悪かったがどうか。

後から娘と話しあえばいいと思った。

今回も土曜日の仕事が終わってからの出発。
夕方5時発は少し遅い。

剣道の練習は一家四人でお休み。

車の中に泊まるのは子供には辛そうなのでホテルを予約しました。

夕方5時発。仙台についたのは夜遅く。
前回満室と断られたインターそばのホテル。

翌日は朝から海沿いに車で走りました。
静かな海。この海がもたらした災害。

気仙沼です


壊れた自動車


一年たってもこのような状況。


気仙沼の中心部の打ち上げられた船。
大きな船でこれが運ばれた津波の威力には驚く。


この場所で私達は黙祷をささげた。
放送が流れて震災で亡くなった方へ一分間の黙祷をした。


何を考えて娘たちは黙祷をしたのか。

小学校から避難中の児童達が多く犠牲になった大川小学校。
避難の準備中に児童の多くが津波に巻き込まれて死亡した。

結果の悲惨さに皆が驚いた。

大川小は地震後にどこに逃げるか議論に時間を使ってしまった。
スクールバスまであったのに。

校庭に待機させられたバスは運転手とも津波に巻き込まれた。

50分あればどこでも逃げられたはずなのに。
迷った結果避難すると決めた場所は津波にのまれた。

一山超えたところに雄勝町がある。
付近でも多くの小学校などが壊れていた。

ほかの学校では児童の死亡はすくないと聞いた。
学校は安全な場所。避難場所として選ばれる事も多い。

石巻の門脇小は避難してきた住民は残して裏山へ避難。
教頭が学校に残り住民の対応に当たった。








この地区では地震後に津波が来ることを
何度も体験していた。

自分達はどうしたらいいか。

困難に直面したら私は何ができるか。
分からない。

責任者というものの資質が問われるのは危機に直面した時。
どうして大川小が多くの児童が亡くなったのか。

責任者とされる校長が悪いのか。
すぐに裏山へ避難しようと決められなかったのはどうしてか。

雄勝町で商店が再開していた。

再開した本屋さんが混んでいた。
プレハブで開店した文房具屋さん。


1000キロを二日で走りました。
私は運転して疲れた。早く寝たい。

テレビやビデオでは見る事が出来ない何かを
娘たちは見つけたのでしょうか。

いつもは遠くまで外出するとお土産を口にする娘達が
今回は何も欲しがらず。
感じたものがあるのでしょうか。

また明日からは私は診療、子供たちは学校。
頑張ろうね。

院長北へ向かう

2月25日の午後の医院の診療が終わったあと院長は旅に出ました。
診療が終わったのが午後5時。遅い出発です。

今日の九合剣道の練習はお休みにしました。
尾島から出稽古に来るというので楽しみでしたが。
小川先生ごめんなさい。

自動車に適当に荷物を積んで出発します。

もちろん行く先未定で宿も予約なし。

自転車まで積んでしまいました。
まあいつもの癖みたいな、病気みたいな。

どこに行くかまだこの時決めかねていました。

北へ向かいました。
心寒いときには人は北へ行きたくなります。


高速道路のサービスエリアが雪が積もっています。
太田は少し暖かくなりましたが北はまだ寒いようです。

これは自転車は無理かな。
邪魔な荷物になってしまった

どこまでいけるか。
まだ時間もあるので遠くまで走れそう。
東北までいけるかも。

震災の跡を自分で見てみようと思いました。
震災から一年、いま実際はどうなのか。

自分で見てみて考える。
報道だけではわからないかもしれない。


仙台についてまだ時間があるので宿を探しました。
雪があり車の中ではつらいと思ったので。

でもどこも満室と断られました。
諦めて車の中で寝ることにします。

石巻の駐車場

ここで車の中に泊りました。
寝袋はもっていました。

でも寒かった。雪の中で車の中で寝るのはきっと健康には悪い。
お勧めしませんよ。

よいオジサンは真似をしないでね。

石巻への道。
凍結した高速道路。


石巻港。

海面が上がったのか地盤が下がったのか。
海面が近いように思います。


漁船が放置されていました。
さらに先にすすみます。



家が壊れて町がなくなっていました。
ここに町があり大勢の人がいたとは。

セメントのビルは残り
木材で出来た一般住宅は基礎しか残っていない。



倒れたビル。

セメントでできたビルが転んでしまったようです。
津波の勢いは場所ではかなりのもののようです。


壊れたビル。


バスがビルの屋上に上がったままでした。


壊れた病院。
ガラス窓は割れてないので放棄されたようにもみえます。

祭壇が設けられて献花が多数ありました。
3階のこの建物の上まで洪水が来たのでしょうか。

診療所がプレハブで行われていました。
山際の小高い場所を選んで作られていました。



大川小

まわりの建物はなくなって小学校の建物だけが残っていました。
海からはかなり距離はあるように思います。




大川小の裏山です。
ここに避難するべきだったと言われています。

津波から約50分。
校庭でどこに逃げるかを論議。

北上川の堤防を目指して逃げようとしているときに
津波に飲まれたと聞きました。

避難する予定の場所も津波に襲われて助からなかっただろうと
聞きました。


南三陸町でお店が再開していました。

商店街がプレハブでお店を開いて賑わっています。

駐車場が一杯で車が列を作っていました。
皆がお店の開店を待っていたように思えます。

ファミリーマートも営業を再開。


土曜の午後の診療が終わってから
約1000㌔走った院長の北への旅でした。

で、私の疲れはどうなったか。
行ってよかったか?

少し元気になった気がします。
明日からまた自分も出来る事をしよう。
医院の診療を元気にやれそうです。

東北の人から力をもらったような気がします。


平原内科消化器科
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栃木県足尾への一人旅
ブログからの引用です。

ある日旅がしたくなる。
家族が相手をしてくれないので1人で。

一人旅は寒いところがいい。
でも時間もお金もないので近場で。

栃木県、足尾に行く事にした。


特に目的もなくふらりと。

使われていない炭鉱住宅。



町中もふらふら。

本屋で今夜読む本を探す。

本屋の親父さん。
ポーズ。

今日は帰らずに泊まる予定。

それまでのゆっくりとした時間。

この時間が大好き。
泊まるところ。

駅の近くにある旅館。

駅前旅館。
こんな旅館が好き。


個人的な希望ではサッシではなく
木製で大きな一枚ガラスに金文字。

オヤジのたわ言です。聞き飛ばして。

亀村旅館。
女将さんが1人でやっている。

旅館の狭い部屋にコタツ。


ここでビールを飲むことにする。
明るい部屋で飲む酒。

帳場までもらいにいく。
女将は料理の真っ最中

お客は私1人。

旅館の女将さんは足が悪いようなので
狭い階段は大変。

自分の家ですら動けなくなっちゃって。
情けないよ。こう嘆く。

いいんです、ビールはもらいに行きますよ。

古い旅館は建て増しをして
迷路のよう。

狭くて急な階段は私も危ない。

お風呂に入りまたビールをもらって
部屋で飲む。
ある中オヤジ。

窓から見る風景。
夕方5時、静かな日暮れ。

何もする事のない時間。

しずか。
この町にはこんな時間がある。


夕食は女将さんの手料理。
精一杯の手料理。


朝急に予約した私1人のために作ってくれる。

まるで帰郷した息子のために出来るだけの
手料理を振舞う母みたい。

足尾の話をして
御飯を嬉しそうによそる。

私が食べると嬉しそうで。
無理して二杯目も。

カツやマグロのお刺身。
食べきれないぐらい。


写真は撮れなかった。
他と比べるみたいで。

どこの家の母の手料理が美味しいと比べる子はいないでしょ。
だから食事の写真はない。

大学生の時に友人が大阪から遊びにきた。
母が料理を作り振舞った。

美味しくて友人達が喜んだ。
こんな時の事を思い出していた。
今も母は精一杯の手料理を作ることは
あるのだろうか。



夜は寒かった。足尾の11月末。寒い。
コタツと布団を一緒にして寝る。

朝ごはんも美味しい。
寒い空気の中、仕事に向かいます。

湖の上の寒い空気が気持ちいい。



院長は少しだけ充電ができました。

短い時間で近い場所への旅。でも満足。
プチ



福岡 金印の島へ。

少し前の事です。まだ勤務医だったときの話。
病院にはすこし内緒。

福岡国際ホールで内科学会総会がありました。
参加しました。

夜は酒を飲んだりラーメンを食べます。
楽しい。

博多ラーメンの店。こんな風に仕切られています。

酒で昼間聞いたことを忘れてしまいそう。

学会のなか一日自由行動の日を作りました。
最終日に遊びます。
金印の島に行くことにしました。

こんな港があります。綺麗。

以前から福岡にある金印の島に行って見たいと思っていました。
倭の国奴王。学生時代に歴史の本で読んだことがあると思います。

なぜ中国からの金印がここにあるのか。
江戸時代の学者は壇ノ浦で沈んだものがここまで流れてきたという説をだしました。
重い金印が流れるとは思えない。

奴の文字が日本を侮辱しているので潰してしまえという意見もあった。
そんな印がどこにあったのか見て見たい。

こんな海上バスでいきます。
その名も「きんいん」
天気のよい日に船で走る。

気持ちいい。
群馬の人は海が好き。
海の人も海が好き。

結局みな海が気持ちいいのです。

島に着きます。

のどかな漁村です。
町を歩きます。


海沿いの道を歩きます。



イカを乾していました。

こんな風景は大好き。

金印公園です。



海沿いの道を歩いて金印公園につきました。

金印はこの公園の海側から見つかったそうです。

ここに金印が埋まっていたというのはますます不思議。
誰かが埋めたというのも不自然。

室町時代の元寇でここに中国から運ばれたのだろうか。
捏造という説もあったが中国の遺跡からほとんど同じサイズの金印が見つかっている。

結局はわからないままの謎になっています。

真実は必ず一つ。
でも永遠に解らないままになってしまうのかも。

帰りの飛行機の窓から。
地球が丸いのがわかる。

空も海も太古の昔から変わらない。

学会にいってこんな風に遊びの時間を作っていました。
厳しい人からみれば怒られるかも。

忙しいと思っていた勤務医時代でしたが
学会にすらいけない今から見るといい時間でした。

その置かれた状態で出来るだけ時間を有効に使う。
そんな考えで生きましょう。

明日はもっといい日がくる。
でも少し忙しいかもね。

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わたらせ渓谷鉄道イルミネーション2

渡良瀬渓谷鉄道のイルミネーションを先日みにいきました。
今回は鉄道に乗ってみたくなりました。

夕方5時の大間々から乗ります。
まだ回りは明るい。

駅の駐車場に車をおきます。

カッコよく撮れたでしょ。

鉄道は混んでいました。
予め買っておいた夕食を持ち込みました。
子供達はマクドナルド。
私はホカホカ亭の弁当。

それとお酒。
大間々は地理がわかるので買い物も楽。

だんだん暗く暗くなっていきます。
神戸駅。

沢入駅。
日は暮れて電飾が綺麗。
車両の前についているヘッドマークも光ります。


記念撮影。
前回寒かったのでスキーウエアで行きました。

運転台に入ろうとしている怪しい幼児。
ゲームとは違うんだぞ。

原向駅の電飾。



神戸駅



花輪駅。



大間々駅です。ここで降りました。


楽しい時間をすごせました。
車で運転しているより子供達と話ができます。
酒も飲める。

皆さんもどうぞ乗って見ましょう。

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わたらせ渓谷鉄道イルミネーション
平成21年2月6日更新


わたらせ渓谷鉄道のイルミネーションが今年も行われています。5年目になるそうです。恵愛堂病院の仕事が終わってから見に行きました。

大間々駅
大間々駅から見て行きます。
前回見た時に比べイルミネーションが少ないように思いました。
もう終わってしまったかと心配しましたよ。

表からは何も光が見えません。

駅構内に入るとイルミネーションが見えました。


夜なので無人駅になっています。

上神梅駅(かみかんばい)
大間々から足尾方面に向かいます。

大正元年に開設された駅舎がそのまま残っています。
以前にも時々見に来ていました。

上神梅はお酒の名前みたい。
美味しそう。


駅の中です。

古いけど確り管理されています。

車で回りました。
本当は列車に乗って駅を見て回れるとといいのですが。

さらに足尾に向かっていきます。
本宿駅
駅の場所がわかりにくい。
国道の下にありました。


駅の周りにはアジサイが植えられているそうです。
梅雨のころにくるといいのかな。
こんな階段を下ると駅があります。



水沼駅

さらに足尾に向けて進みます。
温泉がありましたが現在閉まっているようです。


河童の湯。
以前温泉に入りにきました。そのときもイルミネーションをしていて綺麗でした。


花輪駅
さらに足尾にむけていきます。

ウサギとカメの童謡を作った方の出身地だそうです。
石原和三郎氏。

駅の中でウサギとカメの歌が流れていました。
しばらくの間歌ってしまいました。

綺麗な駅です。

つぎは中野駅ですがイルミネーションはありませんでした。

小中駅


ここもイルミネーションはされていませんでした。

神戸駅(ごうど)

「ごうど」と呼べず「こうべ」と読んでいました。





沢入駅(そうり)
神戸からさらに足尾に向かいます。
だいぶ寒くなってきます。


この駅も好きです。
上神梅駅とここが院長の趣味。



さらに足尾に向かってすすみます。
原向駅


ちょうど大間々行きの気動車が入ってきました。


この駅がイルミネーションの点灯式が行われた場所です。
車が置けないので鉄道をご利用くださいと案内にはありました。


さらに足尾にすすみます。
この駅は足尾町です。
通洞駅



駅舎は立派ですが線路は一本のみ。
退避線もありません。


足尾に着きました。だいぶ寒くなり気温は0℃です。
大間々から5℃下がりました。
足尾駅




駅前の雑貨屋さん。

足尾からさらに先に駅があります。
間藤駅
わたらせ渓谷鉄道の終点です。
この先にもレールがありますがもう使用されていないようでした。


綺麗な駅です。

鉄道作家の宮脇俊三氏が国鉄全線完全踏破した駅

ここからまた大間々まで戻り桐生方面に向かいます。

大間々から桐生に向かい最初の駅です。
運動公園駅



相老駅



下新田駅



つぎは桐生駅で最後になりました。
どこがいいかと聞かれれば
上神梅駅
花輪駅
沢入駅
がいいとおもいますよ。どうぞ皆さんいってみてください。

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北千住から吉原、鶯谷平成20年11月23日
この日は樋口一葉の命日でした。

北千住は太田市からは東武伊勢崎線で交通の便が良いところです。
以前からこの周囲を歩いてみたいと思っていました。

鶯谷から歩き始めます。


鶯谷の駅のそばの旧家。駅前にラブホテル街があります。

甘酒を売っていました。

一葉の「たけくらべ」に出てくる三島さまです。


一葉記念館です。無料公開していました。

 この記念館は住民が一葉の仕事を残そうと努力した結果のものだそうです。住民が寄付を集め土地を購入。区に寄贈。区が記念館を建てたものです。
 地元の叔父さん達が集まって楽しそうにやっていました。住民達の思いがつまっているからでしょう。こんな形の記念館は歓迎です。

樋口一葉は明治29年11月23日に24歳で肺結核で短い生涯を閉じました。命日のため無料公開をしていたようです。

名前はなんと一葉東湯。
立派な銭湯です。

そばに行くと廃業した後のようです。


そばにもう一軒銭湯がありました。
有馬湯。

吉原神社



見返り柳。何度も枯れて植え替えているそうです。

古風な天婦羅屋と桜肉のお店。
天婦羅屋さんの表でお客さんが並んでいました。寒そう。

さらに歩きます。南千住に行きます。
ここは小塚原刑場の跡。

延命寺は本々は小塚原回向院の一部であったそうです。
線路工事のため分断され延命寺として開山。

この地蔵さまが首切り地蔵、延命地蔵尊。寺院の名前はこれに由来。

いまは普通のお寺にしかみえない。
江戸時代犯罪者の遺体はきちんとは埋葬されなかった。
うえに土を浅く掛けただけ。
犬や動物が遺体を掘り出して酷い状態だったそうです。

鼠小僧次郎吉や片岡直次郎が処刑され葬られている
犯罪者だけでなく勤皇の志士、吉田松陰などもここで処刑された。
吉田松陰は後に世田谷の松蔭神社に改葬されている。

このなかにペットの霊園が作られていたのには驚いた。ここがどんな場所か人からの記憶も薄れているのかな。

杉田玄白が解体新書の翻訳の決意をここの腑分け「解剖」に参加したためといわれます。観臓記念碑。
明和8年。はじめ明治8年と間違った。西暦の方が合理的である。

さらに歩きます。
千住大橋です。


平原内科消化器科の理事長より高齢。
確りしている。どちらが。内緒。



ここは芭蕉が奥の細道に出発した場所とされる。


北千住に向かいます。
旧日光街道の碑。




横山家

お団子屋さん。


北千住で銭湯を見つけました。北千住は銭湯が多いといわれる。

キングオブセントウの称号をもらった大黒湯はこのそばあった。「下調べ不足でした。」

太田より高い料金です。

太田市では銭湯に市が補助金を出していると聞きました。
このため太田市は銭湯が安いそうです。


古い医院を見つけました。
江戸時代から骨接ぎの千住の名倉といわれていたそうです。
1771年(明和7年)に接骨院を開業。関東一円から患者が来ていて
多い日には一日700人に達したそうだ。

いつかは「内視鏡の太田の平原」といってもらえるかな。無理かな。
無理だろな。

中に蔵があります。

 医院の敷地内にマンションが建てられています。
ビルで整形外科をしているようです。千住の名倉という看板。
「太田の平原」といっても誰も分かってくれないだろうな。

 いきつけの自転車屋さんで部品の注文をしたときに太田の平原といったら分かってくれて嬉しかった。話が違うか。


長円寺

荒川の河川敷にでました。

青空が綺麗。時間も夕方になってきていて寒くなります。

疲れた。
靴紐を結びなおそうとしたら足が曲がらない。

このプランは自転車で行こうと思って計画しました。
歩いて回るのは覚悟がいります。
南千住から歩いて2回に分けてもいいかも知れません。


北千住から東武伊勢崎線の特急で帰ります。
ビールが美味しい。

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℡ 0276‐45‐3891
 
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